2015年10月5日月曜日

第86巻 あの日見た場所の今を僕達はまだ知らない


皆さまこんばんは。


土日をバタバタと過ごしてやっとら落ち着いた、総務広報委員会副委員長 林嵜です。
仕事に遊びに楽しい日々です。



今日は珍しくスマフォで作成しました。
しかも電車内。
もうフリックしまくりで、指さばきだけは女子高生には負けてないと思います(笑)
でも、機種を変えたばかりなので、機体の大きさに手が馴染まず誤打してたら勘弁を。


さてタイトル。
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」
とうとうドラマにもなりましたね〜〜
でもやはりこの手は絵または活字で見るのが一番です。
不肖林嵜、huluで見てばっちり泣かされましたから。
メンマ可愛いなぁなんて思ってても回を重ねるごとに切なくなってきてねぇ
。・゜・(ノД`)・゜・。





まぁ、その辺はみなさんご自身でご確認下さい。

本線にもどりまして、そんな話題の作品と似た今回のブログタイトル



「あの日見た場所の今を僕達はまだ知らない」


私のFacebookでね
過去の今日ってのが上がって来ましてね。
去年の昨日は、昨年の事業の一環で中学生達を、かの震災の被災地に連れて行ってたんですね。
時間も経ってますので、瓦礫とかは当然片付いていましたが、街があったであろう気配は
感じられるものの、建物はほとんど無く、、、

時折、当時から置いてあるままの重機や建物があったりして、それはとても使えるような形状ではなくて、また駅も「駅だったろう」感じはあれど、完全に津波に飲まれてて、少し高いその場所に逃げたけど津波に飲まれた人々もたくさんいたと言う。

駅です。

駅から見た街があった場所


その場所に立って見ても、そこにはリアリティはなくて、あるのは「街っぽさ」と多くの雑草。
人々の生活
はたまたここを襲った津波
その一つも感じることが出来なかった、起きた事が私には非日常すぎてただ荒廃しただけの様な場所。

破断されたままの道。
ズレた堤防。
壊れた水門。
高い木に絡まったままの漁網。
そしてかの防災庁舎

防災庁舎の階段手摺


そんな被災地がこの一年の間にどう変わったのか、今は神奈川で、あの被災地で抱いた感情を忘れて過ごしている私には正直分からない。


来年も再来年もこれから先も、現地は復興中だと思う。

一度被災地を訪れた人が「そういえばあそこはいま?」「あの頃は確かあの場所に」と思いに触れた時は、改めて現地を訪ねその状況を、変化の様を、誰かに伝える事で人伝であろうとも「知っている人」を増やすのもある意味風化を防げるのではないかと。

そうする責任があるのだと私は思う。



震災以来よく使われる「絆」と言う言葉。
人と人との繋がりを形容するの様になったのは、比較的近年らしい。
もともとは家畜などを木などに繋ぐ鋼の事を指していたらしいけど、人との繋がりを表す場合のそのイメージはまさに鋼。

絆を繋ぐのは伝える事。

あの日見た場所がいまどうなっているか、私はまだ知らないけど
いつか必ずこの目で、感覚で、その時とあの時をオーバーラップさせてみようと思う。